発達を保障する「子どもの遊び場」を 2023.5.12 ¶denden

 国をまたいだ特殊詐欺事件が報道されると、「闇バイト」というわけのわからない言葉をしばしば耳にするようになりました。そして、最近起きた強盗事件、これも闇バイトが関係しているという。高校生くらいの若い子が犯人で捕まった。
 もう「むかし」と言ってしまいそうになる前から、「不登校」「いじめ」が登場し、法による保護の対象にまでなった。
 いじめなんて昔からあったと、わたしも年寄りですが、先輩たちから聞かされたことがあります。言葉は同じ「いじめ」であっても、中身は根本的に違うと思う。がき大将がいて、異年齢集団があたりまえの地域社会で、子どもがまちで遊んでいた頃も、子ども同士の力関係はあったでしょう。しかし、そこで「学んで」大きくなったというのが「おとな」でしょう。
 「差別」は残念ながら、あった。しかし、弱い者をいじめの対象とする、ことはなかった。そうしたやからは、仲間からさげすまれた。
 まちで遊ぶ子、特に大人数の集団を見なくなって久しい。
 おそらく1960年代~70年代にかけて急激に「消えた」。わたしは、この社会現象が、現代のいじめにつながり、闇バイトの、極めて大きなひきがねになっていると確信するほどに思いこんでいます。このことを然るべきところで話したり、主張しても、内心(そうだろう)と思う人は、いるように思いますが、批判に過ぎず、言ったところで世の中が変わるわけではありません。おとなのひきこもりを念頭におけば、遊びの欠如が今の社会不安を生んでしまった。
 「はらっぱ」は経済社会から排除されてきた。「はらっぱ」の経済効果をいう学者はいたかもしれませんが、カブンにして知りません。宇沢弘文は『自動車の社会的費用』で、経済が進むベクトルを強く批判し、警鐘をならしていました。いじめや闇バイトは責任を個人に帰するだけではダメでしょう。国や自治体の責任は、むしろ大きいという認識に向かうときだと思います。
 時代を逆行させる思想ではなく、SDGsの考え方からも国や自治体が反省し、モデル指定でもして、子どもの発達を保障するような「遊び場」を創る(試みを行う)ことはその成果が、数十年はかかると思われることからも、急務とわたしは思い意見するものです。
 少子化社会を救う道でもあると思います。

投稿2023.6.1:「余分な」「遊んだ」空間を取り戻すことが、市民自治の促進につながる 2023.6.1 ¶前田啓一さん