「登校班の人数が80人」という話を耳にしました。A市の事例(明石市ではありません)。俄にイメージできないので、我が身で考えてみました。小学生のとき(もう60年も前のことで参考にならないかもしれませんが……)全校生は2千人を超える当時でもマンモス校でした。登校時、学校に近づくと、子どもの声であふれかえっていました。当時の登校班は20人くらいだったように記憶しています。学校から帰ったら、あるいは休みの日、遊んでいるいつもの仲間が登校班でした。男と女のあたりまえの混成チーム。男女は別々に遊んでいることが日常でした。その意味では日頃の遊び仲間ではないけれど、名前は知っていました。1年生も6年生も入り混じり、いわゆる異年齢で遊び集団が成り立っていました。それがそのままそっくり登校班になっていたということです。
「80人の登校班」と知らされ、さらに、登校班は小グループに班分けされているという。同じ「登校班」の名称でも、中身はどうやら違うようです。スクールガードなど保護者が随伴することも昔はなかった。
日頃の遊び集団と登校班は、同じだった、は、なかなかの「発見」です。男と女のそれぞれの遊び集団が合流し、朝は一緒に学校へ行った。6年生になったら班長の役割がまわってきました。遊び集団の「がき大将」は班長にもなった。このことをノスタルジアで済ませてよいものだろうか。
大勢で遊んでいる子どもの風景を見かけなくなって久しい。登校班という名称は引き継がれているが、子どもの集団を理解する上で「集団の心」は形骸化しているのでは?と、思ってしまう。6年生に「集団の心」を牽引させることは、無理な状況になってしまっているのかもしれません。子どもの生活やまちの暮らしに「遊び」をどうやって復活させるか──という課題認識の必要を感じます。