2008.2.29 松本誠
国会では連日、新年度予算をめぐって攻防が続いているが、府県や市町村もいま、予算発表や予算議会の真っ最中である。
国や自治体の予算が占める財政支出は、いまやこの国の経済やくらしを決定的に左右するウエートを持っているにもかかわらず、その財源を負担するタックスペイヤー、すなわち納税者である市民の多くは、あまりにも税金の使われ方を決める予算に関心が薄く、仕組みのうえでも縁遠い存在になってはいないか?
「主権者」への説明責任は果たされているか?
先ごろ、自治基本条例づくりが進められている明石市内のある会合で、予算づくりと市民との関係が話題になった。
予算編成は自治体の場合、9月ぐらいから翌年の予算づくりの作業がはじまる。各部局が来年度予算の要求づくりをはじめる。財政部局は、当年度予算の執行状況などをもとに、収支の見通しを試算し、全体的な枠組みを検討し、各部局に流す。年末にはほぼ骨格がまとまり、財政当局との調整が行われる。年明けからは、知事や市長などのトップが査定
し、最終的な調整が行われて、2月初めぐらいから順次発表され、年度末の予算議会へ向かう。
この間、市民はほとんど介在する余地がない。こうした作業がおこなわれている途中で「こんなことをぜひやって欲しい」」「あれは来年どうなるのか?」などと要望や質問しても、「予算編成の中で検討します」「予算が決まるまでは何ともいえない」という答えが返ってくるだけだ。これだけ「参画」や「協働」が声高に叫ばれていても、予算づくりや決定のプロセスでは、市民は全く関与できない、情報も共有できない状況に置かれているのが現実である。
大方の自治体では、首長のもとで決定した予算案は議員に説明してから記者発表し、その後「市政だより」などで広報されるが、新聞も広報紙も予算案の全体像のごく一部が書かれているだけで、市民が税金の使われ方や1年間の行政の事業計画を知る「情報」とは程遠い。本来なら、予算発表時の広報紙は、そのすべてのページを使ってでも予算と事業の内容を市民に分かりやすく、詳細に伝えても「主権者」に対して当然のことではないか。上場企業の株主に対する経営情報や経営・事業計画の情報提供は、小さな文字で読みづらくはあるが、その公開姿勢は自治体と段違いである。自治体は、企業以上に主権者への説明責任があるのではなかったか?
予算づくりへの市民参加の試み
幾つかの小さな自治体では、ある試みが行われたこともある。予算づくりにあたって、市民にニーズや要望を要望書や会合で具体的に聞く場を設けて、議論するプロセスをつくった町。市役所内で予算づくりを行うのと並行して、公募で構成した市民会議でも市民の立場から見た予算づくりをしてもらうとともに、議会でも議員の立場から見た予算づくりをしてもらって、三者の予算案をつき合せてさらに議論を重ねるプロセスを採用した市もあった。
「住民自治」とか「住民の参画」というのは、計画段階からその計画づくりにかかわるということだから、当然ながら計画づくりのプロセスにも参画しなければならない。予算はあらゆる行政施策の根幹になるのだから、予算づくりの過程や決定過程に市民がまったくかかわれないのはおかしなことだ。そこで、こんな議論になった。
予算づくりの各段階で市民に公表する
一つは、予算づくりの過程を市民に公開し、事業計画がどのように絞られていくかのプロセスを市民に見えるようにすることだ。秋に来年度の予算づくりがはじまり、各部局(例えば市役所の場合、部単位)の要求がまとまった時点で、それぞれの部局の要求をホームページや閲覧方式で公開する。年末あるいは年明けに財政当局の査定が終わり、予算の骨格がまとまれば(政府予算でいえば財務省原案)それも公開する。そして首長査定が終わって予算案が確定した段階では、全体の予算構造や事業計画が分かるような形で市民にも全体像を公表する。
このように、段階ごとにどのような変化を遂げていくのかが分かることによって、その間に行われた政策判断の経緯が市民にも伝わることになる。「計画策定過程への参画」というのは、こういうことではなかったか? この間に、意見がある市民はどんどんボールを投げるはずだから、それを受け止めて検討し、検討結果はきちんと市民に返すキャッチボールがおこなわれると、市民の意向がどのように扱われたかが明確になって、参加度が高まってくる。
いま行われている「パブリックコメント」手続きの多くは、事実上政策が決定したあとで形式的に意見を聞く手続きとして活用しているのが大半だから、“市民参加の隠れ蓑”に使われているにすぎない。
予算審議と決算審議の公表に工夫
もう一つは、議会での予算審議の過程で議論された中身を詳細に情報提供していくことだ。本会議の議事録だけではダメで、重要なのは委員会等の審議を通じて、こうした予算づくりの過程がどのように検証され、予算案の妥当性がどのように審議されたかを市民の眼に触れるようにしていくことである。同時に、いまは議会内部の議論だけで済まされているが、予算が執行された結果の検証、すなわち決算についての検証経過もくわしく公開し、市民の眼による事後評価に結びつけていくことが必要だろう。
こうしたことを通じて議会の機能が市民により分かりやすくなり、その役割を果たしえない議員は次第に選挙で淘汰されていくことになるだろう。