2019.4.19 松本誠
▶ 2019年4月:市民マニフェスト選挙(第3次の2:詳細)
選挙Yearの統一選後半も、いよいよあと1日を残すだけになった。明石市では本来は市長、市議ダブル選挙だったはずが、2ヵ月連続の市長選挙の結果、市長選が泉市長の無投票4選(実質的には3選)に終わったために、市議選の単独選挙になってしまった。
市長選挙が有権者の投票する機会なしに向こう4年間の市政の責任者が決まってしまったことから、市政をチェックする市議会の役割が一層重大になるが、果たしてその任に応えられる議員が選ばれるかどうか? 明石市議会はこの4年間、議会基本条例に掲げた「市民に開かれた議会」「市民に対する説明責任を果たす」「市民意見を的確に把握し、多様な市民意見を反映させる」ことなど本格的な議会改革を進める宣言とはうらはらに、議会運営のあちこちで迷走状態にある。
今回の選挙は議会の姿勢をただす議員を選び直し、市政のチェック機能を回復し、市民の意見を的確に反映する政策提言機能を発揮する議員を選ぶかどうかが問われている。いわば、選挙はそうした資質を持った議員を市民が選ぶかどうかの大切な機会だ。審判の日を前に、あらためて議員の資質と「市民に信頼される議会」を生み出す課題を考えてみたい。
新人候補が半数というが…実態は?
今回の市議選は定数30に39名の候補がしのぎを削り、街には連日選挙カーが駆け回り支持を訴えている。再選をめざす現職が20名に元職が2名、新人が17名の構図で、一見新人議員が多く誕生するように見えるが、中身を見るともう少し違ってくる。
新人のうち公明党と共産党、民主連合系、新社会党の、引退議員の後継候補が計5名(共産は途中辞職)、県議選に転じた議員の後継候補が1名、無所属保守系の引退議員の世襲(息子)候補が2名おり、新人のうち8名は事実上の“現職後継候補”と言える。したがって、全くの新人候補は9名だが、うち3名は日本維新の会公認候補、1名は共産党公認で、無所属は5人ということになる。
党派別で見ると、公明6、自民4、共産4、維新3、立憲1と政党公認候補は18人と半数弱にとどまり、残りは無所属候補。
また、4年前の当選者のうち4名は親から子に引き継がれた“世襲議員”だったが、今回の改選で2名が引退したものの新たに2名の“世襲新人候補”がいるため、選挙結果次第では再び4名の世襲議員が誕生することになる。政治家の“世襲”は国政では近年顕著な傾向が表れて問題になっているが、自治体でも「地盤・看板・かばん」を引き継ぐ世襲議員が幅を利かすことになる。
議員同士が討議しない議会の摩訶不思議
さて、自治体議会の役割は地域の課題をしっかりと踏まえた一人ひとりの議員が、多様な支持層を背にして多様な価値観を議会で議論し、活発な討論を重ねる中で合意形成を図ることにある。30人の議員はそれぞれ異なる意見を出し合い、政策形成するための妥協点を見いだすから「議会は議論する場」と言われる。
にもかかわらず、明石市議会では未だに「議員間討議」を行うことに躊躇し、「議員間討議のルール」がまとまっていないことを理由に、議案の賛否について議員間で意見をたたかわすことを避けている。討議は民主主義の基本だから、議会で「討議のルールがないから討議をしない」では、小学生に笑われかねない。
なぜ、議員同士で議論をしないのか? 議論をせずに、どうして「合意形成」を図れるのか? 市民から見れば議会は不思議なところである。誤解を恐れずに言うと、議論できない議員が多数存在し、議員間討議をすると議員としての資質の欠如が露呈してしまうからである。議会を傍聴すればすぐ分かることだが、「一般質問」に毎回たたない議員が多数存在し、質問にたっても事前に調べればすぐ分かることをわざわざ公開の場で「お伺い」する議員。答弁を得ても、その答弁に対して突っ込んだ再質問を繰り返さないから、当局の考え方を「お伺い」するだけに終わってしまう。
政策提言できる専門知識と能力を見定める工夫
議会基本条例の策定の際に「市長等の反問権」に関する議論があった。議員が質問したことに対して市長や当局側が反論したり、議論を持ちかけるのは「討議」をするなら不可欠だが、反問は「質問の趣旨を確認する内容」に限定して“反論”等を認めなかった。だから、本会議の質問は、あらかじめ提出した質問書を読みあげる議員と、事前に用意した答弁書を読み上げる“儀式”に終わり、傍聴していても面白くないから傍聴は低調だ。
議会の質疑で緊張感を生み出すには、議員それぞれが専門的な知見を持ち、行政当局と丁々発止の議論ができる能力が求められる。選挙公報を見れば分かることだが、市長や行政が進めた施策を自らが実現したような“手柄”として列挙したり、耳触りのいい抽象的な政策目標を並べるだけの議員が少なくない。「身を切る改革」などとは書いてあるが、何をするのか具体的なことが全くない候補者も少なくない。こんな人物が議員になれば、市政のチェックはもちろん、議会内での討論や政策提言などは及ぶべくもない。
統一選真っ最中に、面白い提案がSNSに投稿されていた。明石出身で埼玉県和光市の市長としてユニークな手腕を発揮している松本武洋氏の投稿で知ったのだが、市議選の選挙公報(※)が通常の3倍のスペースで掲載されている。一人ひとりの候補者に、新聞紙大の4分の1のスペースが提供されるから、政策などを相当書き込まないとスカスカの公報になってしまう。政策で選ぶ選挙という観点からすれば、現行法の下でもやれる英断だ。
行政、市民、候補者、メディアも役割を果たそう
39台の選挙カーが路地裏まで終日走り回ることに、批判の声もある。他方、4年に一度、市内の隅々を回り、こんな地域もあったのかを実際に知る、議員になる人にとっても貴重な機会でもある。1週間ではなく、もっと長い時間をかけて地域の隅々を回り、住民と対話する「まちを挙げてのイベント」にすれば、市民と議員の双方にとっても選挙が重要な機会になるかもしれない。
選挙で政治家を選ぶことが民主主義の基本だとするなら、新聞をはじめとしたメディアも、もっと自治体議員の選挙に力を入れてもいい。選挙期間と並行して、当該市の市政の課題や議会の課題を連載し、日ごろ市民の目に触れていない議会運営の内実や、一人ひとりの議員の活動を掘りさげる報道が欲しい。「争点がない」「政策が語られず、連呼ばかり」と実態を見ずに批判するばかりでなく、争点を提示し、課題を掘り下げる報道が欲しい。
できれば、地元新聞社が主催して、候補者による「公開討論会」を開催したり、市長選や県議選では行っている候補者に対する政策アンケートも不可欠だ。「シビックジャーナリズム」が唱えられて久しいが、地方分権時代に移行して20年経つ中で、基礎自治体議会再生の課題を担う役割はメディアにも大きくのしかかる。
“新聞離れ”と“議会不信”は、似通っている。議会も新聞も、市民にとって必要不可欠な存在であるかどうかが、再生の分かれ目になる。「床屋談議」風の記事でお茶を濁すような手抜き記事では、市民に見透かされる。信頼される議会と議員へ向けて、市民と一緒に何ができるか、行政も候補者も市民もメディアも協働していこう。