論評《市長選の構図と背景》2023明石市長選挙 松本 誠 2023.4.6
1)4年前を上回る劇的な展開
2)泉市長と市議会の“対立抗争”その内実
3)県議選明石・泉派新人ぶっちぎり当選が意味するもの
4)明石市政の先駆、開拓性と首長の姿勢への評価
5)似通う政策、戸惑う市民、本当の争点は何か?
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7)市議選も泉旋風全開、現職当選は半数強の17、勢力関係も激変か
8)「泉市政」とは何だったのか? 首長・泉房穂論へのアプローチ
※ 2023.7.30実施 市民自治あかし総会 活動総括資料より市長選関連部分を分冊 PDF
※ 泉市政3年半の検証 ;2022.8 PDF ──「第1ステージ」に相当
明石市長選挙は泉房穂市長の後継者として立候補した丸谷聡子氏が、自民・公明両党推薦の林健太氏をダブルスコアで圧勝し、5月から丸谷市政が始まることになった。「市民自治のまちづくり」を掲げた自治基本条例施行の下で最初の市長となった泉市政12年を終えて、市民自治の市政をめざす明石市政は“第2ステージ”に入る。
県議選と市長・市議選が混然一体、実質3週間余に及んだトリプル選
統一自治体選挙後半戦の注目選挙区になった明石市のダブル選挙は、かつてない激しい選挙だった。選挙へ至る経緯も、泉市政3期目は市長と議会の対立が激化し、その延長線上で生じた昨年10月の市長による市議への暴言騒ぎから市長の「今任期限りの退任、政治家の引退」表明が飛び出し、対立の場は選挙戦に移った。しかも、市長から「議会の多数派を過半数割れに追い込む」との“宣戦布告”が出され、年末には市長自ら立ち上げた政治団体「明石市民の会」が6人の市議候補を擁立し、うち一人は1か月後に県議選に転戦し、県議、市議、市長のトリプル選挙にたたかいのステージが広がった。
政党間の対立になっていた県議選明石選挙区(定数4)は一挙に緊迫し、泉市長は「自分の選挙だ。県政も変える」と訴えた。10日間の県議選では、擁立した橋本慧悟氏の応援に自らが前面に立つだけでなく、3月25日に後継指名して市長選に立候補表明したばかりの丸谷氏をはじめ5人の市議候補も勢ぞろいして応援を続けた結果、橋本氏は3万票をこえる驚異的な得票で2位の北口氏にダブルスコアの差をつけ、ぶっちぎりでトップ当選した。
従来はどちらかと言えば、県議選中はその後の市長・市議選の候補者は街頭活動の制約を受けることから県議候補だけの選挙戦になっていたが、今回は事実上、市長・市議選が3月31日からぶっ通しで続いた格好だ。自民党陣営も2名の県議候補の応援に地元選出の西村康稔・経産大臣がしばしば応援に立ち、市長候補の林氏や市議候補も一緒になって街頭活動を展開した。3週間余におよびにぎやかな選挙戦が繰り広げられたのは、明石の統一選にとっても前代未聞のことだった。
自・公 国政与党と泉市長との“対決”は、何を象徴しているのか?
さて、市長選に目を向けよう。
市長選でも、泉氏は「自分の選挙」と訴えることをはばからず、市長候補の丸谷氏と二人三脚で駆け巡っただけでなく、5人の市議候補も常に合流しながら街頭活動や演説会を続けた。これに対して林陣営も、これまでの市長選では一歩距離を置いていた感のあった西村経産相が、今回は自らが擁立した林氏の支援に全面的に躍り出た。現職の重要閣僚でもあるが、国会審議の合間を縫って行き来した。例えば、木曜の早朝に西明石で林氏を応援してその足で上京し衆院本会議に出席、翌金曜午後の本会議を済ませて夕方には明石駅前の街頭演説会に駆けつける力の入れようだった。
選挙ポスターも、泉氏を前面に出した丸谷氏のポスターに対抗するかのように、林氏のポスターには西村氏が前面に出たポスターを張り巡らせた。こうした展開をマスメディアは西村と泉の「代理対決」と選挙戦最終日に報道した(22日付け神戸新聞)。これに関して泉市長は即日「この戦いは『泉vs西村』の戦いではなく『市民vs既得権益』の戦いだ。“市民目線の市政”を継続するのか、“古い政治”に逆行させてしまうのかの戦いでもある」と切り返した。
政党主導の古い政治からの脱却、市民目線への訴えに驚異的な得票
確かに、地元の二人の有力政治家が互いに内心どう思っているかは別にして、これまでは直接政治的に対立していたわけでもない。市長になってからの泉氏が国政野党の立場で動いたこともない。しかし、マスコミはしばしば政党間の対立の図式で自治体の政治的対立を報道しがちだ。都道府県や政令市の首長や議会の選挙では政党が直接介入することが常態になってはいるが、一般の市町村レベルではむしろ政党が表に出る方が異例なぐらいで、国政政党の組み合わせとは異なる構図になることが多い。国政は政党政治に基づき議会の多数を占める政党が首相を選出し与党になるが、自治体は「二元代表制」のもとに中央政府や国政政党から自立しているのだが、選挙になるとマスメディアは政党の組み合わせを中心に報道しがちになる。政党の枠組みを中心にした見方からはとらえきれない、市民や無党派層の動きをとらえることが軽視される報道がいまだに横行している。
泉氏が後継者に丸谷氏を発表した直後にも、似たような報道が全国紙で行われていた。西村氏が擁立を発表し自民と公明の支援で対抗すると表明した候補が、泉氏の後ろ盾があるとはいえ市民運動出身の無所属市議であることから「情勢は一気に流動化している」と、自民党サイドには好機到来と歓迎する向きがあると報道された(3月30日付け朝日新聞)。
泉氏が69票差で当選した2011年以来、明石市長選では政党の存在感は大きく後退している。ここ10年ほどは、全国的にも既存政党や選挙時の支持母体である組織力が低下の一途である傾向は強くなっている。泉氏はこのような状況を見透かしたうえで「市民vs既得権益」「市民目線と古い政治」とのたたかいであると喝破する。市議時代も「100%無所属」を掲げ、一貫して市民の目線から政治を見てきた丸谷氏もまた、泉氏の視線には共感し選挙戦を通じて訴えてきた。その結果が、7人が争った県議選では橋本氏一人で3割強の票を得、43人が競った市議選でも新人5人の泉派候補で3万7730票、3割強を得票し平均7500票余という驚異的な票を得る結果を出した。
トップダウン型からボトムアップ型の市政へ、丁寧な対話姿勢を貫く
丸谷氏は選挙戦を通じて「泉市政が培ってきた大事な政策は継承発展させるとともに、泉市政ではできなかった政策を推進し、市民の声を丁寧に拾い上げ、議会の皆さんとも丁寧に対話を重ねるボトムアップ型の市政に取り組む」と訴えた。いわば、泉市政のポジティブな政策はさらに推進し、泉氏ではできなかった政策やネガティブな政治姿勢を変えていくことを大胆に誓った。泉氏もまた「自分ができなかったことをやり遂げ、トップダウンだった自分とは異なる丁寧な対話型の行政をできる人だから、丸谷さんに託した」と言い切った。
ボトムアップ型の市政について、丸谷氏は「先ずは、タウンミーティングのような対話集会を地域やさまざまな分野ごとに精力的に開催し、そのための専門的な部署もつくりたい」と具体的な構想についても明らかにしている。市議活動を通じてもさまざまな課題について幅広く耳を傾け、担当部局の職員との意見交換を重ねて「職員と一緒に解決策を見出していく」という姿勢を貫いてきた。そうした姿勢が今度はトップリーダーとして、自らが先頭に立って職員や市民、議員と協働して取り組んでいく行政イメージを膨らませているのは間違いない。
市民自治のまちづくりを進化させる期待へ、さまざまな想いも秘める
泉市政の12年間は、古い革袋に強引に新しい酒を注ぎこみ、職員や議会との間に時にはハレーションを伴いながらも新しい自治体行政の在り方を内外に見える化し、世間の注目を集めて明石市の存在感を全国に印象つけてきた。行・財政でも人口増加や子ども施策の先鞭をつけるなど、一定の成果を挙げてきた。同時に、時には強引な手法や急速な展開の陰で、さまざまな歪みも生んできたことも事実である。
市民とともに進める「市民自治のまちづくり」についても、市民の参画や協働を浸透させるためのきめ細かな施策が求められる段階に来ている。
いわば、泉市政が《市民自治のまちづくりと市政》の「第1ステージ」だとしたら、丸谷市政によって、その「第2ステージ」が始まると言える。丸谷氏自身もこの1カ月の選挙戦の中だけでも、さまざまな想いを語ってきた。4月30日に任期満了で泉市長が退任するまであと1週間。投票終了とほぼ同時に、丸谷氏の「当確」が知らされて喜びの記者会見をする中でも、泉氏は「これから1週間できちんと引き継ぎ、5月からは市政の舵取りと運営はすべて丸谷さんに委ねる。私は、その後は市政に口出しすることはない」と言い切って、バトンを手渡した。
市民にとっても、新しい市政にどのような関わり方をしていけばいいのか? 新たな模索が始まる。