論評《市長選の構図と背景》2023明石市長選挙 松本 誠 2023.4.6
1)4年前を上回る劇的な展開
2)泉市長と市議会の“対立抗争”その内実
3)県議選明石・泉派新人ぶっちぎり当選が意味するもの
4)明石市政の先駆、開拓性と首長の姿勢への評価
5)似通う政策、戸惑う市民、本当の争点は何か?
6)泉市政後継の丸谷氏圧勝、市民自治の明石市政は第2ステージへ
7)市議選も泉旋風全開、現職当選は半数強の17、勢力関係も激変か
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※ 2023.7.30実施 市民自治あかし総会 活動総括資料より市長選関連部分を分冊 PDF
※ 泉市政3年半の検証 ;2022.8 PDF ──「第1ステージ」に相当
69票差の初当選から話題に事欠かなかった明石市の泉房穂市長が4月30日の任期満了を前に28日の金曜日、3期12年の任期を終え、たくさんの市民に拍手で見送られ市役所から去った。子ども施策の重視を全国に発信し、10年で1万4000人も人口増加をもたらすなど突出した政策で明石市の名を全国区にした一方、度重なる“暴言”で辞職や「政治家引退」を表明しながらも人気が衰えなかった異色の政治家でもあった。最後は自らの「後継者」を電撃的に指名し選挙戦の前面に立ち、同時に自ら擁立した県議と市議5人とともに驚異的な得票で当選させるなど、最後の仕事を飾った。
泉房穂とは何者だったのか? 12年間の市政を検証し、その評価を試みたい。
幼少期から市長への夢、TV・弁護士・政治家秘書を経て 30 代で視野に
28日の退任記者会見で同氏は「やさしい明石、胸を張れる明石をめざし、市民を向いた政治、予算と人材のシフトを精いっぱいやり切った。悔いはない」と言い切った。
泉氏は「明石市長になるのは、子どものころからの夢だった」と就任当時からよく語っていた。障害を持って生まれた弟が普通の学校へ行けない理不尽さに悔しい思いをしながら、そうした社会を変えることを子どもながらに誓っていたこともよく話に出してきた。地元の高校を出て東大教育学部に進み、NHK、テレビ朝日を経て民主党衆院議員でもあった石井紘基議員の秘書を務めた。同議員の勧めもあって弁護士を志し、独学で司法試験に合格。弁護士になり2000年には地元明石に事務所を開業した。
「政治家の恩師」と尊敬してきた石井議員は税の無駄遣いを追及し、利権財政を追及する「爆弾発言男」とも称されたが2002年10月右翼団体代表により刺殺され、命を奪われた。この時すでに泉氏は明石市が2000年に設置した市民未来会議に応募し副会長を務めるとともに、この年明石市が初めて導入した審議会等への公募市民委員の自主勉強会を主宰し、市民参加の市民活動に関わり出していた。翌年3月には「コーボ委員は何を見た?」と題した報告会を主催し、市政へのアプローチに踏み出していた。
明石市政に変化の兆しが始まった21世紀初頭、まず国会議員からスタート
この後、明石市政は大蔵海岸の埋め立て地における花火大会で11名の命を奪う惨事(2001年7月)を引き起こした事件を契機に市政刷新の動きが始まるが、当時の岡田市長が責任を取って辞任した後の2003年4月市長選挙では小・中学校で2年後輩の北口寛人氏に先を越されたものの、同年11月に行われた衆議院選挙で民主党の落下傘候補として兵庫2区から出馬し比例復活で衆院議員になった。
国会議員は2005年9月の解散総選挙で落選し2年足らずで終わったが、初当選から4ヵ月後の2004年3月の衆院本会議で民主党を代表しての質問は語り草の一つだ。総合法律支援法案(法テラス)について「国民に身近な司法をつくる」ことを訴えた質問だが、当選間もない新人議員が原稿も持たずに手ぶらで登壇し、両手を振り回しながら当時の小泉首相や担当大臣を名指し、指差ししながらの大演説に何回も拍手が鳴り響いた。演説の中で指摘した犯罪被害者等基本法や高齢者虐待防止法などは翌年、翌翌年には施行されたが、市長になってからはさらに法律の不備を独自条例で次々に補う施策を展開していった。
この演説を振り返り、この4月の選挙中に発信したツイッターでは「困っている人に手を差し伸べるのが政治の使命・役割と、この頃から訴え続けている。政治家は私利私欲ではなく、弱い立場の国民のために働くべきだと本気で思い続けている」と書いている。
「市民自治の市政」掲げる自治基本条例施行後、初の市長に69票差で当選
話を明石市政に戻そう。
明石に戻り弁護士業を再開した泉氏は2007年に社会福祉士の資格も取り、障害者や高齢者の相談、支援業務を通じて、市の福祉施策にも厳しい要求や批判をぶつける中で存在感を高めていった。北口市長は2期目になってから職員の働きかけもあって自治基本条例の制定へ動くなど先進的な施策も一部取り入れる一方、明石フェリーの経営支援問題や市政における公私混同問題などで2010年末3選不出馬を表明した。この結果2011年市長選は、すでに自称「市民推薦候補」を掲げて出馬の態勢を整えていた泉氏と、「泉阻止」でまとまっていた副市長ら幹部職員と市議会多数派4会派が擁立し井戸知事の全面支援を受けた前県民局長との一騎打ちになったが、泉氏は69票差の際どい接戦を経て初当選した。
この選挙結果について泉氏は全く触れていないが、市民自治あかしの前身である「明日の明石市政をつくる会」は、自治基本条例施行後最初の市長選にふさわしい市長の選出をめざし、市民が求める市民の政策を「市民マニフェスト」にまとめて候補者に提案する新しい選挙スタイルを編み出し、候補者による公開討論会の開催に踏み出した。泉氏は市民マニフェストに「概ね賛同し実現に努力する」とした一方、前県民局長は討論会にも出席しなかったため、同団体は選挙告示直前まで「こんな市長は要らない」と“落選運動”を展開した。そうした経緯の中で、圧倒的な組織選挙を制して単身「市民のために」を訴え続けた「泉市政」が誕生した。
「市民福祉度日本一」の施策推進や、中核市移行、市民参画も積極推進した1~2期
泉市政は当初、本人が繰り返し話しているように市議会や職員の厳しい視線の中で船出したが、中学校給食の実施や市独自の奨学金制度の創設など子ども重視の施策展開と中核市移行をめざす方針を明らかにするとともに「市議会や職員との協調路線」をめざすことを表明していた。就任間もなく始めた弁護士職員の大量採用などに厳しい目も向けられたが、自らが発信した「市民福祉度日本一のまちづくり」や「子ども」重視の政策推進は全国的に先鞭をつけ、明石市への注目度を高めたこともあって市庁内部や議会でも次第に支持された。そうしたこともあって1 期目から2期目へかけての泉氏は次第に多様な発信力を高めていく中で、市外での講演でも「市民の代表である議会も支持してくれている」と語る姿が印象的だった。人口が連続して増加基調を示し、就任当初からめざした中核市移行が実現して、保健所や児童相談所の開設によりめざした市政運営が順調に進んでいたことが背景になっていた。
また、この時期は市民自治の市政についても、議会の対応を気にしながらも市民参画への積極的な姿勢が見えた。駅前再開発については市長就任後に路線を変更して規模の見直しを見送るとともに、ビルの用途を図書館や子ども関連事業に転換したことで「計画の見直し」を求めた市民からは「住民投票による決定」を直接請求されたが、議会が否決する情勢にあったとはいえ市長は「住民投票実施に賛成」する態度を示した。直接請求が否決された直後には、懸案だった常設型住民投票条例を検討する委員会を条例で設置し制度化を図る姿勢を見せた。さらには、自治基本条例の市民検証会議も条例の定めにしたがって発足させ、条例のブラッシュアップの方向を探った。長年の懸案だった市民活動支援センターも中間支援組織の整備と合わせて実現させた。
2期目後半から“強権的”姿勢目立ち軋轢、市民参画や情報共有は“後退”
こうした施策展開に外部からの評価が高まるにつれて、2期目の後半に入るころから次第に“強権的”“強圧的”な姿勢も目立つようになった。2019年の選挙を前に暴露された「職員への暴言」があったのはこの頃のことだ。施策展開のメリハリをつけるために頻繁に職員の異動を行い、コロナ禍の2021年度は27回も人事異動を発令した。市長にとっては「適時適材適所」で限られた人材をぐるぐる回しながら状況に対応していったに過ぎないが、回される側からすれば“悲鳴”を挙げたくなり不満が鬱積する要因にもなった。泉氏からすれば役所の「お上至上主義」「横並び主義」「前例踏襲主義」の悪弊を改革する“荒療治”だったが、当然ハレーションは生じる。役所の旧弊の壁を突破する市長の武器は「人事権」と「予算編成権」だった。アクセルを強く踏むと、3期目には議会との軋轢も顕在化することになった。
もう一つの変化は、市民自治の市政で重要な「市民参画」や「情報共有」についても、独断専行の施策推進の陰に押しやられていったことだ。新庁舎建設計画でも市民参画手続きが軽んじられ、新幹線車両基地計画の協議や大久保北部丘陵地の開発に関わる高速道路会社との協議、2021年の県知事選での公開質問で表面化した明石港東外港再整備に関わる新庁舎や県立図書館に関する県との交渉など、市民も議会も知らないまま重要な事業の協議が進んでいたことが相次いで露呈した。
任期満了を前に泉氏は、こうしたことについて「改革を進めたらハレーションが起きるのは当然だ。結果を出す使命をブレることなく走り抜けた」と語っている。
市民自治の明石市政は「第2ステージ」へ、泉氏は広域、全国視野に新しいステージへ
泉市長は「市民自治の明石市政の第1ステージ」を担い、後継者に「第2ステージ」を委ねて去った。次のステージは、粗削りで随所にささくれ立ったキズを残したこのまちを、丁寧に「市民自治のまち」へ磨き上げていく課題に、市民と行政が協働の実を築き上げていく時代が始まる。
泉氏自身は近著で「(国政は)次の総選挙でがらりと変わる。2025年7月に衆参ダブル選挙になると睨んでいる。兵庫は知事選も重なりトリプル選挙になる。変わるときは一気に変わる」と、闘いのステージを予見している。大激変の時代、明石からの発信を全国に広げる新しいステージに向かう。
(連載:完)