小規模自治体の心意気と「地方政府」への道

2008.10.6 松本誠

長野県下伊那地方の町村長4人との対話から

 地方分権改革はもちろんのこと、行財政破綻や年金改革、危機的な経済状況、雇用や食の安全、産業構造のきしみなど、この国の危機的な状況を打開する役割を担うべき政治の漂流が、一段と加速している。2年連続の政権投げ出しから始まった自民党の総裁選びの茶番劇に続く「衆院解散・総選挙」をめぐる混沌とした状況は、もはや民意を体現し得ない中央政治の荒廃を象徴しているとしか言えない。

 この最中、私は静岡県の大学で3日間「地方自治論」の集中講義を終えたあと、長野県南部の伊那谷地域で「市民と政治」の学習組織を立ち上げた「竜援塾」の主宰者、中川賢俊氏の案内で、地元の町村長や塾の市民らと語り明かす3日間を過ごした。

 ひと言で感想を言えば、農山村の自治体は中央政治の漂流とは無縁の存在のように、地方自治体の置かれている厳しい状況に真正面から向かい合い、首長の役割を自問し、職員のあり方に思いをめぐらし、住民とともに歩む町村の行く末を考えながら地道な取り組みを重ねている。小さな自治体であるがゆえに、行政と住民の全体像をすみずみまで掌握できる地方自治の「良さ」が息づいているように感じた。自治体規模のケタが異なる大・中都市部の首長にはない、頼もしさを感じた。

役場は最後のセーフティネット

 訪れた4つの町村の中で最も小さな過疎のまちは、今年人口が2000人を切った泰阜(やすおか)村。田中康夫・前長野県知事が住民票を一時この村に移した問題で有名になったが、本来は20年前から手厚い在宅福祉を実践している先進自治体として有名な山村である。40%近くが65歳以上の高齢者だ。

 松島貞治村長(58)は高校を卒業後、村役場の職員になり、村で唯一の診療所事務長のときに在宅医療・福祉にかかわった。村のお年寄りと話していると「村長、俺らはいまさらどこへ行くこともできん。死ぬまでこの村にいるので頼む」という。村長は「上手に送ってやるで、安心しな」と応えることにしている。長い間働き続けてきた高齢者は、安心して村で暮らしたい。その願いに応えることが、村の行政の仕事だ。「奥深い山の中に700数十世帯が19の集落に分かれて暮らす山村では、「役場は最後のセーフティネット」だと言い切る。

 だから、平成の大合併でも隣接町村との合併を選ばず、自立のむらづくりを選んだ。経済的効率化をめざす合併をすると、そのうちに役場(支所)も学校もなくなる。村には高齢者を支える人的資源がなくなってしまう。役場の職員に「お金がなくても汗と知恵でできること」の提案を求めたら、50件ぐらいの提案が出てきた。その中に「おれは何の能力もないけれど、酒だけは呑める。夜が寂しいという高齢者の家へ行って晩酌の相手ぐらいはできる」というのだった。豆腐1丁と一升ビンをぶら下げて晩酌の相手を務めに行く。こんな話がマスコミで紹介されたら、「こんな心温まることができる村はすばらしい」と送金や励ましの便りが相次いだ。

 昨年、泰阜村はスウェーデンの高齢者協同組合にヒントを得て、「高齢者協同企業組合泰阜」を設立した。「もう国をあてにせず、自分たちの幸せは自分たちの手でつくりあげよう」というのだ。都会に住む、ふるさとを持たない人たちと村民の共同作業で、新しいふるさと創りをめざす。村に協同住宅を建て、高齢者の介護、子育て支援、世代間交流、障害者雇用、地域住民の緊急避難所づくりなど、山村の持つ魅力を生かした地域再生事業に取り組むという。

小さくても輝く村づくり、住民も予算づくりに参画

 阿智村は人口約6500人。岡庭一雄村長(66)も高校を卒業後役場の職員になったが、環境水道課長だった1998年、現職を破って村長になった。当初から「住民主体の行政運営」を掲げ、「住民が考え、行動する住民主体の村づくり」をめざして、7つの地区の自治協議会の再生や職員の意識改革に取り組む。140世帯から430世帯までの7つの地区自治会がそれぞれ地区計画をつくっており、役場と対等な地域づくりのパートナーとしてそれぞれ特色ある事業を展開している。

 阿智村では予算編成がはじまる9月ごろから、行政内部だけでなく自治会もそれぞれ村への予算要望を検討し、予算書を作成して役場との協議を繰り返す。役場の協働活動推進室が窓口となって要求を整理し、担当課との折衝を促す。住民の予算検討作業は自治会だけでなく、各種団体や場合によっては個々の住民も参加する。3月初めに予算案が決まるまでに、議会も常任委員会や政策検討会などで予算編成途中での協議に参加する。

 住民のこうした参画と協働が機能するためには、住民の日常学習が決め手になる。村では公民館などの生涯学習の場を「村づくり研修」の場と位置づけて、住民の教育・研修に力を入れる。全戸にいち早く光ファイバーケーブルを敷いたのも、そうした生涯学習の取り組みを強化するためだった。村民5人以上が集まった学習グループには助成金を出して応援する。

 人口が千人に満たない隣接する2つの村を相次いで編入合併はしたが、岡庭村長は「小さくても輝く村づくり」を進めるという。「住民の意識が変わり、職員の力がついてきたら、そろそろ俺は引退かな? 村長はもともとコンダクターみたいなものだからな」と笑う。

リーダーシップと住民の信頼感、首長は一種の思想家

 大阪の広告代理店マンから6年前にIターンして、合併ありきの村政に反対して村長選に出て当選した中川村の曽我逸郎村長は、豊かな村の潜在的な地域資源を生かした「日本で最も美しい村」づくりに挑む。ここ10年ほど人口が増え続ける市田柿発祥の里・高森町の熊谷元尋町長は町民参加条例を制定し、地域自治組織を広げながら住民自治の確立をめざしている。

 それぞれ個性のある4人の町村長と話していると、自治体の首長はまちづくりや教育への哲学を持つ一種の思想家でなければならないと感じた。職員へのリーダーシップと住民からの限りない信頼感を得て、中央政府から自治をたたかい取る強い意思と能力が必要だと思った。

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