まちづくりとGENJIN ─ 原・現・玄・眩 ─

2023.6.7 松本誠

 市民自治あかしHPのシンボルマークになった「GENJIN」は、言うまでもなく「明石原人」に由来したものですが、実は、市民が主体となった「まちづくり」を進めていくうえで、GENJINの持つ意味合いには、以下のように深いものがあります。
 市民が主体になった「住み良いまちづくり」を進めていくには、4種類の「GENJIN」が不可欠です。

 一つは、そのまちに長く住んできた、いわゆる「原人」(原住民)です。そのまちに愛着を持ち、まちの良さも良くない面も知り尽くした人たちです。わがまちを良く知り、郷土愛は深いが、まちを客観的に見る機会が少なく、磨けば輝くまちの良さを見落とすこともあります。

 二つ目のGENJINは、「現人」(新しく住民になった人々)です。都市人口の転出入は激しく、戦後の高度成長時代に人口が急増したまちでは「現人」が大半を占めます。しかも、再転出や新たな転入など移動が激しく、いわゆる“腰掛け”的な一時滞在者も少なくありません。しかしそうした「新住民」もそのまちを構成する市民であり、地域の中で新旧入り混じった交流や連携なくして、まちづくりはうまくいきません。
 加えて、新しく住民になった人はそのまちを「外からの眼」で客観的に見たり、他所のまちとの比較ができる貴重な視点を有しています。さらには、再転出した新しいまちで「かつて住んでいた、暮らしていたまち」の良さを広げてくれる役割も果たしてくれるかもしれません。

 三つ目は、専門的な知識や技術、知見を持った「玄人」(いわゆる専門家)です。職業的には学識者や弁護士、建築士、会計士、医師などの「士」「師」がつく職種に従事している人です。もちろん、教員や市や県の職員、民間企業に勤めている人でも専門的な仕事に就いていた人は、その分野の造詣が深く、玄人の役割を果たせます。市民が主体となったまちづくりには、そうした多彩な専門家の関わりが不可欠です。職業として貢献するとともに、居住地域では専門的な知識や技能を住民として提供し、社会貢献してくれます。

 最後の四つ目は、一芸に秀でた「眩人」(まばゆい人)です。音楽、舞踊、美術、工芸などの芸術家や芸能人、スポーツ界や学術分野などで著名な選手や学者などもこれに入ります。そうした眩しい人たちを地域の宝として、地元のまちづくりに貢献してもらうとともに、まちの“誇り”として大事にしていくこともまちづくりに欠かせません。次代を担う子どもたちが、将来に夢を抱くきっかけになることも少なくありません。

 なお「明石原人」は、明石市の西部にある西八木海岸で直良信夫氏が昭和6年に発見した人体の腰骨が数十万年前の「原人」ではないかという学術論争に発展し、明石原人と呼ばれてきました。その後、人骨は数奇な運命を経て「旧人」または「現代人」のものではないかと落ち着いてはいるが、今なお地元では「太古の昔から明石には人類の暮らしの足跡があった」というロマンを追い求めて、地元住民などが「明石原人祭り」を続けています。

(おわり)

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