明石市長変遷史:はじめに

連載:明石市長変遷史明石まちづくり小史 partⅡ》松本 誠 2023.6.9

このページ 0》はじめに
1》波乱万丈、9人中8人が不祥事辞職や急死、落選で退場
2》「明石市」の消滅救った住民投票
3》…… 続編を予定 ……

 2023年春の統一自治体選挙で、明石のトリプル選挙は退任する泉房穂市長が巻き起こした“旋風”が吹き荒れた。昨年10月の市議に対する暴言騒ぎをきっかけに「今期限りの退任」と「政治家引退」を表明し、その後半年にわたってその帰趨が注目され続けたが、選挙直前になって誰も予想していなかった「後継者」を指名し、再び“劇場型選挙”を展開した。先に自ら立ち上げていた政治団体「明石市民の会」が擁立した県議、市議候補6名と合わせて、驚異的な得票で全員当選を実現した。

 12年前の初当選時には、県知事や市議会の大半などが支持する圧倒的な組織候補を、奇跡の「69票差」で振り切った。4年前の3期目の選挙を控えた時期に職員への暴言が発覚して即辞任したが、繰り上げ選挙間際に再立候補を表明し劇場型選挙で圧勝した。

 泉市政の12年間は、自治基本条例が施行されて最初の市長としての市民的注目を集めてきたが、同条例に掲げた「市民自治のまちづくり」をめざした市政運営が行われたかどうかは、これからも議論が必要だ。自治基本条例を遵守することを初めて宣言してスタートした丸谷聡子市政を、市民自治あかしは「市民自治の市政 第2ステージ」と位置づけた。その中身はこれから議論を重ねて、新しい市政の展開を見ながら追求していくことになる。

 そのスタートにあたって、戦後の明石市政と市長の変遷を振り返ってみたところ、たくさんの発見を得た。これからの明石市政とまちづくりを展望するうえで、まずは過去の明石市政とまちづくりの歩みを分析し、共有しておくことが必要だ。戦後最初の公選市長が就任した1947年から75年間の「明石市長変遷史」を小史にまとめていく。

(この項 終わり)

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