議員NAVIで読む「市民マニフェスト選挙」

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(議員のためのウェブマガジン)の特集「自治体議員の”なり手不足”問題」で掲載

“逆マニフェスト”を手に「市民自治」の選挙めざした 12 年間

市民派女性市長の誕生もたらした「市民マニフェスト選挙」の背景

政策提言市民団体 市民自治あかし 代表世話人 松本 誠 2023.8.10

 政党や政治家が選挙の際に掲げるマニフェストは、旧来の「公約」から一歩踏み込んだ政策目標を具体的に明示した「有権者との約束」でもある。1990年代後半から日本でも始まり、21世紀に入ってからは自治体選挙でも「ローカルマニフェスト」が提唱されてきた。

■「市民主体の市政」とまちづくりを求める運動から出発した1990年代

 兵庫県明石市で12年前の2011年市長選から市民団体が始めた「市民マニフェスト選挙」は、いわば市民から政治家(市長選挙候補者)に突き付けた「逆・マニフェスト」選挙と言える。本来、主権者は市民であるにもかかわらず、選挙となると市民は政党や政治家(立候補者)が提示する政策や政治姿勢を評価して投票するだけで、候補者を選別する手段も主体的に持たず、選挙はもっぱら政党や政治家側からの働きかけ運動だけで、有権者から運動することは一切封じられている。
 こんな選挙や政治風土はおかしいと、明石では1990年代に入ってから「市民主体のまちづくり」や「市民主体の市政」「市政や議会への市民参画」を掲げて政策議論を積極的に展開するほか、そうした市民運動の中から市議を次々に送り込んできた。1990年代の後半から「無党派の市民派議員」が少しずつ増えて、21世紀初頭の市長選ではついに「市民の市長をつくる会」が無党派の市長候補を擁立し、新人四つどもえの選挙で次点になる選挙も経験した。(※「とりくみ時系列」後段 1995~2008年参照
 こうした経過の中で、2007年には自治基本条例の検討委員会が市民参画の下で始まり、自治基本条例制定のステイクホルダーを自称する「住民自治研究会」が発足し、検討委員会に並走する形で委員会メンバーとの意見交換や意見書、提言書の提出等を重ねながら3年がかりで2010年4月に自治基本条例が施行された。

■「市民自治の市政」を掲げる自治基本条例の制定と、ふさわしい市長選び

 自治基本条例は「市民自治のまちづくり」を掲げ、市民自治の市政を運営するために「市民の市政への参画」「協働のまちづくり」「情報の共有」を「市政運営の原則」と定めた。「市民マニフェスト選挙」を始めたのは翌2011年市長選挙で「自治基本条例施行後最初の市長は、自治基本条例を遵守し、市民自治の市政運営を明確に担う人物でなければならない」と考えたからだ。
 1990年代から2000年代にかけての明石市政は、2001年の大蔵海岸花火大会事件(11人が群衆なだれで死亡した、いわゆる歩道橋事故)で責任を問われた市長が辞任したり、その後 新人44人による選挙を経て就任した市長が3期目の選挙を前に不祥事で退任するなど、2代続けて不祥事で挫折した後だけに、自治基本条例の重みは一段と大きかった。
 市民が選挙にも主体的に関わろうと2010年12月には「明日の明石市政をつくる会」が結成され、まず取り組んだのが「市民マニフェスト」づくりだった。「市民がつくる市民の政策」として市長選の候補者に提案し、その実現の意思を確認する。そのために、選挙前に候補者との「公開討論会」を開いて、市民マニフェストに対する意見を求めて市民と意見交換する場をつくった。

■第3の候補擁立の可能性も視野に入れた市民マニフェストの策定

 最初の市民マニフェストは、公開討論会で納得できる答えをどの候補者からも得られなかった場合には第3の候補を擁立する可能性も含めて、その際の選挙のマニフェストとなるように政策の各分野を網羅したために百数十項目にわたる大部な政策集になった。
 この時の市長選は、初挑戦した泉房穂氏と前市長の3選を阻もうとしていた職員幹部や市議会多数会派が擁立した県の県民局長との対決になり、政党推薦を受けず「市民推薦候補」を自称した泉氏に対して、自・公や民主など大半の政党が推薦し知事が全面支援する県民局長が優勢との見方が大半だった。
 ところが、選挙告示日の1ヵ月前に開いた公開討論会には、当初は出席するはずだった県民局長は欠席し、泉氏一人の出席になった。通常の「候補者公開討論会」は、候補者側からの一方的な公約や政策を聴くだけだが、市民マニフェスト選挙は「市民が実現して欲しい政策」に対して候補者がどういう姿勢を示すかを明らかにし、市民と意見交換する機会を提供する場だから、出席者が一人でも成立する。討論会では、泉氏は一人で2時間余の討論をこなし、市民マニフェストには「概ね賛成だ。実現に努力する」と答えた

■討論会欠席候補に1ヵ月の“落選運動”、奇跡の「69票差」で泉市政が誕生

 討論会を終えた後、2日間にわたって結果を分析し対応を議論した。市民マニフェストに概ね賛成し実現に努力すると答えた候補者を当然支持することになるかと思われたが、同氏を知るメンバーには「口先だけでは信用できない」とする人もかなり居た。他方、欠席した県民局長には「市民との意見交換にも出席しない候補者に、市長の資格はない」と一致し、市民自治をめざす自治基本条例に基づく市長には「県からの“天下り市長”は不適当」となった。「独自候補を擁立すべき」という“主戦論”もあったが、それでは「天下り候補を勝たせる結果を招く」という議論を重ね、結論としては「一人を選ぶ市長選挙は、よりましな人を選ぶ“戦略的”選挙をしないと、結果はより悪くなりかねない」とまとまった。
 この結果、告示日前日まで「こんな市長は要らない」という“落選運動”を展開し、「69票差」という30万都市としては奇跡的な僅差で泉氏の当選が決まった。

■是々非々で対応した市長に住民投票の直接請求や「開発許可取り消し」の申し立ても

 泉氏については、選挙前には「計画を抜本的に見直す」としていた明石駅前の再開発計画について、市長就任後「規模縮小など大幅な見直しは困難」として用途変更を行っただけで計画を進めることを表明したことから、再開発に反対する運動を再び始動し明石駅前の再開発を考える会」が発足、翌年には「駅前再開発・住民投票の会」に発展し、地方自治法による住民投票条例の直接請求署名運動に至った。
 直接請求署名運動は法定の4倍を超える2万余の署名数に達し、再開発計画の可否を住民投票にかけることを請求したが、市長は住民投票には賛成したものの、市議会は19対8の反対多数で否決した。また、翌年には中心市街地の明石港にあった明石~淡路フェリー航路の発着場跡地に高層マンションを建てる計画について「開発許可の取り消し」を求める審査請求を市長に申し立てたが、市は「請求人適格がない」と主張し、市民の請求を却下した。
 他方、自治基本条例制定後の課題だった常設型住民投票条例の制定へ向けて2013年に検討委員会を発足させ、1年3ヵ月におよぶ審議を経て2014年10月には「請求署名数要件を有権者数の8分の1」「署名期間を(政令市や府県並みの)2ヵ月」とした先進的な条例案を答申した。しかし、市長は議会多数派(自・公等)の強い抵抗を配慮し、答申内容を緩和した条例案を提案したが議会は否決。その後2回の再提案も否決されて未だに住民投票条例は宙に浮いている。

■選挙前年には「市民マニフェスト」の成果検証大会も市長を招き開催

 泉市政は全国的には子ども施策や障害者、社会的弱者等への手厚い支援施策で高い評価が続いていたが、他方では2度にわたる職員や議員に対する「暴言」騒ぎで辞職したり、政治家引退を表明するなどこの4年余は揺れ動き、また肝心要の「市民参画」の市政運営よりもトップダウンによる“強権”的な市政運営も目立った。
 この間12年にわたって「市民マニフェスト選挙」に取り組み、今春の選挙まで4回にわたる「市民マニフェスト」を策定してきた政策提言市民団体「市民自治あかし」は、泉市政については一貫して「是々非々」の態度を貫き、選挙の前年をめどに「市民マニフェスト検証大会」と呼ぶ“中間チェック”の討論集会に市長を招いて討論を重ねてきた。
 2023年春の統一自治体選挙を前に、昨年11月20日には「検証大会」を予定し、半年間をかけて泉市政の検証を行い市長に質問書を事前に提出していた。今回は、予定した検証大会の1ヵ月余り前に市長の2回目の暴言騒ぎが起き、10月の本会議で「今期限りの引退」を表明したことから一時は検証大会の開催も危ぶまれたが、予定通り市長は出席し2時間余にわたって時には激しい議論も交わした

※泉市政3年半の検証(3年半を振り返る)PDF

■市議選でも現職、新人候補者を招き「公開討論会」を開催

 今期のトリプル選挙(県議、市長、市議)に際しては、前回4年前に続き市議選でも「公開討論会」を開催した。今回は市長が退任表明し「後継市長候補の擁立」と「市議会の市長への“反対勢力”だった自・公会派の過半数割れ」をめざした新人市議や県議を市長自らが擁立し、12月から6名の新人を従えて市長が先頭に立って街頭活動を展開していた。市長・市議のダブル選挙の場合には、どちらかと言えば市議選は市長選の陰に隠れてしまうことが多いが、今回は「明石市民の会」を名乗る泉派候補の行方とともに市議会の勢力関係がどうなるかに関心が集まり、定数30に対して43人が立候補する激戦になった。
 市議選の公開討論会は候補予定者全員に案内を出したが、3月19日の討論会への出席は前回同様12名になり、そのうえ当日になっての欠席が3名も出たことから9名による討論会になった。今回は候補者による公開討論会の前に、現職議員ら全員に案内を出して1月末に「市議会運営はどうあるべきか」と題した「市民と議員の意見交換会」も開いた。道半ばの市議会改革の中身について市民自治あかしから問題提起し、出席した4人の現職議員と市民40人が3時間余にわたってシビアな意見交換をした。

■土壇場で泉市長が選んだ後継候補は、市民運動の現役で市議2期目の女性

 さて、今春本番の市長選挙の構図はぎりぎりまでもつれ込んだ。10月に今期限りの退任を表明した泉市長はその後も「後継者の公募」を先送りし、議会多数派への挑発的な対応を繰り返していたことから「土壇場で再出馬?」の観測も流れる中で、対抗する自民党は3月上旬になって市議2期目の林健太氏の擁立を発表した。3月議会が閉会した3月24日になって泉市長はようやく後継候補を明らかにし、25日に記者会見して同じ市議2期目の丸谷聡子氏が立候補表明した。
 丸谷氏は、日本野鳥の会の中心メンバーとしても活躍し、環境教育分野では全国的にも知れわたっている市民運動の活動家であり、明石市内でも早くから環境保全や環境教育の市民団体を率いる一方、市民自治あかしの中心メンバーとしても活動してきた活動家。泉氏がそうした人物を自らの後継候補に指名したことは、丸谷氏本人や周辺にとっても青天の霹靂でもあった。ただ、泉氏がそうした人材を「後継者」に選んだ理由が明らかになるにつれて、大方の評価は「いろいろあったが、泉氏は最後に有終の美を飾った」という見方が大勢を占めた。
 立候補会見から1週間後、31日の県議選告示日から明石市内は3週間余にわたってトリプル選挙のうねりが4月23日の市長・市議選投票日まで続いた。その模様と意義づけは、選挙戦と並行して8回にわたって私が書き続けた「論評・2023 明石市長選挙」に詳しい。

論評《市長選の構図と背景》2023明石市長選挙 松本 誠 2023.4.6 ▶ 2023年4月:市民マニフェスト選挙(第4次:詳細) このページ・・・その1/82)泉市長と市議会の“対立抗争”その内実3)県議選明石・泉派新人ぶっちぎり当選が意味するもの4)明石市政...
■市民マニフェストの実現に「協働」する課題を背負う「市民自治の市政第2ステージ」へ

 選挙戦は「この3つの選挙は私の選挙だ」と言い切ったように、泉市長(4 月30日退任)の旋風が三つの選挙に吹き荒れた。県議選初日から泉市長を先頭に三つの選挙の「明石市民の会」の7人の候補が一団となって、市内を駆け巡った。文字通り泉市長の“劇場型選挙”となり、驚異的な得票で県議選、市議選そして市長選で圧勝した。県議選は立候補表明から2ヵ月余りの無名の新人が3万2060票という兵庫県議選全体を通じてもダントツの得票でトップ当選し、定数4の明石選挙区で県会議長経験もある6期目をめざした自民県議を落選させた。市長選は丸谷氏がダブルスコアで圧勝し、定数30の市議選も泉派の新人5人が投票総数の3割強を得票し全員当選した。トップ3を占めた3人はかつてない1万票前後を得票し、驚かせた。
 就任後の丸谷市長は、泉市政のすぐれた政策を継承するとともに、政治手法としては泉氏とは真逆の「ボトムアップ」と「徹底した市民参画」を貫く方針を明示し、自ら先頭に立って市民との“対話行政”に取り組んでいる。対立と不信が広がっていた職員や議会との修復も課題だ。
 市長とともに大きな課題を、市民もまた抱えている。自らも関わってつくった「市民マニフェスト」を市政に活かしていく課題を背負った市長。行政にボールを投げる立場だった市民団体は、政策の実現にどのように協働していくかという課題を背負う。市民自治あかしは「市民自治の市政は第1ステージ(12年間)から第2ステージに入った」と位置づけている。

〈おわり〉


執筆者のプロフィール
松本 誠(政策提言市民団体 市民自治あかし 代表世話人)

1944年兵庫県明石市生まれ。関西学院大学法学部卒。神戸新聞記者を経て2003年から市民まちづくり研究所所長。この間25年間、関学大や桃山学院大、神戸学院大などで政治学や新聞学、都市政策、まちづくり学などの非常勤講師を務める傍ら、まち研明石や連帯兵庫みなせん、自治・分権ジャーナリスト関西の会など多数の市民団体を主宰、運営している。兵庫県武庫川流域委員会委員長や自治体の諮問機関代表や委員も多数歴任。主な著書に「市民が変える明石のまち」(2003年文理閣)「分権・合併最前線」(2002年文理閣)「21世紀社会の構図」(2001年文理閣)「阪神・淡路大震災10年」(2004年岩波新書)など多数。

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